TEXT BY ミドリ・モール(弁護士・ライター)

 ハリウッド組合特集:「監督組合」とは

 映画の制作過程での監督の役割は大きい。通常、実写映画だと1本に監督はひとり。映画の出来あがりを左右する重要な仕事だ。監督の指揮下で、ユニット・プロダクション・マネジャー、助監督などが制作の補助をする。
 監督組合“Directors Guild of America”と呼ばれる組合は、アメリカ国内外で働く監督と監督指揮下のスタッフたちの権利と生活を守る。監督組合の所属する会員は現在、12,205人。そのうち、女性は約22%で、2,670人と言われる。残りが男性で大多数を占める。人種ごとの割合は、ラテン系が274人(2.4%)、アフリカ系が436人(3.8%)、アジア系が141人(1.2%)、原住民が29人(0.2%)で、残りが白人系。白人の男性監督が圧倒的な多数を占め、制作現場を仕切っているのが現状のようだ。
サンセット通りにある監督組合。
この中では映画のプレミアが頻繁に行なわれる。
 監督組合の役割は、組合員を代表して、スタジオや制作会社との間の集団契約を交渉する。最低賃金や労働条件を良くして、映画が二次使用された場合には、再使用料を徴収してくれる。売れっ子監督ならいざ知らず、いつも監督の仕事があるわけではないから、その間の生活を守ってくれる二次使用料は重要な資金源だ。その他、組合員のための年金や健康保険を整備している。組合に所属する監督を雇う場合、スタジオや制作会社は、組合の年金・健康保険にも寄与しなければならない。組合の果たす経済的な役割は大きい。組合は組合員たちのクリエイティブな権利をも守ってくれる。
 たとえば、洋画には必ず、“A Film by ---”というクレジット表記がある。長年にわたって監督に与えられた勲章のような表記だ。“A Film by Steven Spielberg”となっていれば、それはスピルバーグ監督作品という意味だ。スピルバーグ監督が映画の責任者ということだ。映画の最初に名前がでるので、インパクトがある。観客の目にとまる。だから“誰それの監督作品”という表記をもらえる栄誉は、映画制作に携わった人たちには特別な意味をもつ。そして監督にとって次の仕事へのチャンスともなっていく。このクレジット表記を巡って、脚本家組合が監督組合の領域に口を挟んだ。
 脚本家たちには、原作者の場合“Story by---”というクレジットがもらえる。脚本を書いたら“Screenplay by---”というクレジットがつく。しかし、映画の最初に現れる“誰それの監督作品”という表記に比べると見劣りする。脚本家組合の言い分は、脚本がなければ、俳優は演じることはできないし、ましてや監督することなんてできない。脚本は映画の根幹だ。にもかかわらずすべての映画に“誰それの監督作品”というクレジットを独占させるのは、まるで監督が映画を仕切っているような錯覚を与える、というのが理由だ。

 脚本家組合は、監督組合が長年独占してきた“誰それの監督作品”というクレジットに制限を加えようとした。制作会社やスタジオに対して、“誰それの作品”という標記に、脚本家の名前もいれて欲しい。“誰それの監督作品”という標記ができる映画の数を限定して欲しいと要求してきた。
 こういった脚本家組合の要求に対して、監督組合の反応は冷やかなものであった。「映画の脚本は脚本家が書く。しかし観客が劇場で見る映画は監督の手によるものだ。たとえば、映画『アメリカン・ビューティ』('99)。監督によって、俳優の使い方や撮影の仕方は当然異なってくる。編集の仕方も違う。音楽も異なってくる。同じ脚本でも、監督によって全く違った映画になる」(監督組合から)。“誰それの監督作品”というクレジットを制限するなんて、監督組合ではとてものめない話だった。
 結局のところ、脚本家組合は今年の賃上げ交渉で、ペイ・パー・ビュー、テレビ放映、そしてDVDといったメディアでの再使用で発生する二次使用料の値上げを勝ちとることはできたが、“誰それの監督作品”という表記を制限することはできなかった。監督組合と脚本家組合。二次使用料をどれだけ多く勝ち得るかといった利害の一致する点では、合従連衡を保ちながらも、既得権の部分では譲れない事情があるようだ。
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