TEXT BY ミドリ・モール(弁護士・ライター)

 肖像権とは (2)


■“ダスティン・ホフマン”の肖像権を巡る裁判
 演技派俳優ダスティン・ホフマンは映画『トッツィー』('82)では、なんと女装にまで挑戦した。売れない男優が女性になりすまし、テレビ番組で売れっ子になってしまうのだが、恋してしまった女性に本当のことを言えず悩むという、ラブ・コメディー映画だ。当時、ホフマンの女装はセンセーショナルな話題を引き起こした。
 その話題性に目をつけた“ロサンゼルス・マガジン”という雑誌が、ホフマンの女装シーンの写真を変造、デザイナー・ブランドのシルクのガウンと靴を履かせ、同誌1997年3月号のファッション特集に掲載した。変造した写真の上には、「リチャード・タイラーとラルフ・ローレンのデザインによる黄色いシルクのガウンを身に着けたホフマンは、女装癖ではない」という写真説明を入れた。さらに、同誌の裏表紙に、ホフマン着用の商品の値段と販売店の所在地を載せていた。これに憤慨したホフマンは、出版社とその親会社を相手どり、カリフォルニア州の連邦地方裁判所に、肖像権と商標権侵害による損害賠償請求の訴訟を起こした。

 ホフマン側の主張によれば、“ロサンゼルス・マガジン”は、本人から肖像権の使用許可をとっていなかったし、使用されたスティール写真には変造禁止の注意書きがあったにも関わらず、それを無視したのだから、許可をとる意思さえなかったと断定する。出版社側は、パロディで表現の自由だから使用許可は必要ないと反論したが、裁判所は、デザイナー・ブランドの宣伝広告であると見た。商業目的であれば、もちろん使用許可をとるべきだ。

 1999年、裁判所は商品の宣伝は一切行わないと公言しているホフマンの肖像権を尊重し、ホフマンの名前とイメージの商業的な公正価格を算定して、損害額として150万ドル、懲罰的賠償額として更に150万ドル、更に弁護士費用として27万ドルを、ホフマンに対して支払うよう出版社に命じた。
 判決に不服な出版社は当然のことながら上訴した。そして上訴審での判決が下された。2001年7月、第9巡回上訴裁判所は、3対0で下級審の判決を覆し、ホフマンは敗訴した。全面勝訴から敗訴への転落となった。上訴審では、『トッツィー』の変造写真掲載だけでは、商品宣伝を目的とした商業的使用というには不十分、というのが理由だった。商業的使用でなければ、本人の承諾は不要だ。肖像権をめぐり訴訟をかかえる有名人たちにとって、彼らに好意的といわれるカリフォルニア州で言い渡された判決の効果は、計り知れないものがあろう。

 この裁判のように、“肖像権”に対して反論としてよく持ち出される権利に“表現の自由”がある。憲法上保障された“表現の自由”と、個人に保障された“肖像権”。2つの対立する権利の衝突。どちらを優先すべきか。公共性とのバランスを図りながら、その線引きは時代とともに移り変わる。 
 今のところ、“肖像権”は人間にだけ与えられている権利だが、もし、コンピューターが生み出したサイバー人間が映画に主演した場合、いったい肖像権はどうなるのであろうか? 最後に、少し肖像権の未来について考えてみよう。

 超大作『タイタニック』('97)のクライマックス。海に浮かび、助けを求める幾千もの人間はコンピューターが作り出したサイバー人間だった。『パトリオット』(00)の戦闘シーンもそう。100%コンピューター・グラフィックスによる映像が話題の『ファイナルファンタジー』(01)に至っては、サイバー人間が主役のスターである。

 もし彼らが有名になって、コマーシャルに使用されるなど、一人歩きを始めたら、どうなるだろうか。アニメやCGの場合、クリエーターたちはスタジオに雇用されているので、産み出されたキャラクターの著作権はスタジオに属する。しかし、肖像権は本人にしか属さない。この場合、本人は架空の人物なので、拡大解釈してクリエーターたちが、肖像権を主張することもありえないことだとは思われない。何と言ってもここは、どんな訴訟が起こっても不思議のない国、アメリカなのだから。
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