TEXT BY ミドリ・モール(弁護士・ライター)

 元ディズニー幹部対ディズニーの裁判(2)

 ウェルズが飛行機事故で亡くなり、ディズニーの社長の椅子が空いた。アイズナーは心臓の手術を受けているだけに健康が不安だ。そうなると「自分こそが、アイズナーの後継者としてディズニーの社長に昇格させてもらっても良い時期だ」と、カッツェンバーグは腹の中で思った。

 ところが、意外なことに、上司であるアイズナーの方は、カッツェンバーグの能力をそれほど高く評価はしていなかったようだ。もちろん、自分の後継者とも見ていなかった。だから、カッツェンバーグが社長の座に固執したことは、彼にとっては驚きでしかなかった。

 結局、アイズナーは、カッツェンバーグに望みのポストを与えることはなかった。失望したカッツェンバーグは、雇用契約の切れる1994年9月30日付けでディズニーを退職。二人の縁はこれで切れたかに見えた…。
 ところが、腹の虫の収まらないカッツェンバーグは、ディズニー側が彼に与えた退職金などに不満を抱いた。「支払われるべき“ボーナス”がないではないか」 しかし、ディズニー側は未払い分はない、と主張するだけに、どうにも妥協の余地はなかった。当事者で解決できない時、行き着くところは裁判所。1996年4月9日、カッツェンバーグはディズニーを相手に、ロサンゼルス上訴裁判所に契約違反を理由として訴訟を提起した。

 カッツェンバーグは、ディズニーとの間で、給料のほか、“ボーナス”として収益の2%をもらう取り決めを交わしていた。退職後も、2億5,000万ドルの“ボーナス”があると主張した。ディズニー側は雇用契約に“ボーナス”条項が存在することを認めたが、幾ら支払うべきかで全面的に争った。

 カッツェンバーグはディズニー在籍中、多くのアニメ作品を手がけた。とりわけ、『ライオン・キング』('94)は、世界中の興行収入だけで7億6,600万ドルを記録し、史上第6位の大ヒットとなっている。劇場で儲けた後は、ビデオやテレビ放映、サウンド・トラック、おもちゃなどからの収入が入る。彼の弁護士の計算によると、彼が手がけた作品が将来生み出す収入は少なく見積もっても125億ドルになる。したがってその取り分はざっと2億5,000万ドルになるのだそうだ。

 そんなカッツェンバーグ側の計算に対し、もちろんディズニー側は反論する。カッツェンバーグがディズニーで手がけた実写映画からの収益は2億6,200万ドルでしかなかった。アニメの業績が良くても、実写映画の失敗がアニメの収益の足を引っ張っていたと主張し、両者に歩み寄りの気配はなかった。

 裁判が長期化する中、互いの人格を攻撃しあうようなスキャンダラスな展開となっていく。1999年5月、証言台にたったアイズナーは、カッツェンバーグの弁護士から質問される。「あなたはカッツェンバーグを“ちび” と呼んでいましたか?」「『わたしはチアリーダーで、カッツェンバーグは(チアリーダーが手にもって振る)ポンポンだ』と言いましたか?」と質問は続く。アイズナーがカッツェンバーグの人格を踏みにじるような扱いをしていたとの印象を与えることで、訴訟を有利に運ぼうと言うテクニックだが、ここまでくると子供同士の喧嘩、泥仕合だ。そうなるとゴシップ的な疑問は引きも切らない。
 何故嫌いな人間を部下に置いたのか? それとも途中で嫌いになったのか? ディズニーを再建するためにはカッツェンバーグの経営手腕が必要だったが、いったん会社が復興し軌道に乗ってしまえばもう用はなし、そんな冷たいビジネス感覚だったのか? その本心はアイズナーにしか分からない。ただ確かなことは、アイズナーはカッツェンバーグに望みのポストを与えず、出世欲の強いカッツェンバーグのエゴと衝突したということだ。

 1996年に始まったカッツェンバーグ対ディズニーの訴訟は、1999年7月、ディズニーがカッツェンバーグに対してお金を支払うことで和解する。和解金は明らかにされていないが、業界ではカッツェンバーグの主張に沿って2億5,000万ドルぐらいではないかとささやかれているだけに、実質的にはディズニーの“敗訴”といえよう。
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