TEXT BY ミドリ・モール(弁護士・ライター)

 『スパイダーマン』訴訟(前編)

 「スーパーマン」「バットマン」「マスク」「スポーン」「メン・イン・ブラック」そして、最近では「X-メン」といった人気アニメやコミックのヒーローたちが映画化され、大ヒットしている。そして先頃、いよいよ待ちに待ったアメリカのスーパー・ヒーロー『スパイダーマン』(02)の実写映画が公開された。
 「スパイダーマン」は、「X-メン」の生みの親であるスタン・リーが作り出したスーパー・ヒーローだ。蜘蛛にかまれた高校生の主人公が超人的な力をもつようになり、悪と闘うというアクション・コミックで、アメリカではTVアニメ化までされ、人気シリーズとして定着している。

 様々なコミック・ヒーローが映画化されるなか、「スパイダーマン」にまで映画化の白羽の矢はたった。しかし、誰が映画化権をもっているのかで大騒動となり、マーベル・コミックス(破産後再建)、独立系製作会社(すでに破産)、ソニー・ピクチャーズ、MGM、バイアコム(パラマウントの親会社)といったメジャー・スタジオを巻き込む大掛かりな訴訟に発展し、長年にわたって争われることになった。
 「スパイダーマン」の実写化に最初に興味をもったのは、低予算のアクション映画専門の独立系製作会社キャノン・グループであった。キャノンは「スパイダーマン」の権利元であるマーベルとの間で、実写化の権利を買い取る契約を結んだ。1985年のことである。

 その契約には、1990年4月までに映画化されない場合には、実写化権はマーベルにもどるという但し書きがあった。なぜ製作期限をつけるかというと、人気キャラクターとあれば、引く手あまたで売り先には困らない。もし、映画化できる可能性がないなら、早く諦めてもらった方がいいわけだ。
 その後、キャノンは1987年にパセ・コミュニケーションズという会社に吸収され、消滅した。パセは1989年に、「スパイダーマン」の実写化権を21世紀フィルム(すでに破産)という独立系製作会社に売り渡した。実は、この21世紀フィルムという会社は、元キャノンの幹部であるメナヘム・ゴランがつくった映画製作会社であった。ゴランという人はよほど「スパイダーマン」の実写化に執着していたようだ。

 「スパイダーマン」の実写化に興味をもっていた人は他にもいた。『ターミネーター』('84)の大ヒットでアクション監督として不動の地位を築き上げたジェームス・キャメロンも少年時代に「スパイダーマン」に魅了された一人だった。長年、「スパイダーマン」の実写化を夢見ていたのだという。
 キャメロンは、カロルコという製作会社(すでに破産)の経営者らに「スパイダーマン」実写化の企画を持ちかけた。カロルコは早速、「スパイダーマン」の実写化権をもっていた21世紀フィルムと交渉して、権利を買い取った。その際、キャメロンが『スパイダーマン』を監督すること、そしてゴランがプロデューサーとなることが条件とされた。

 早速キャメロンは脚本づくりにとりかかるのだが、なかなか製作にまでいたらない。そこでカロルコは、21世紀フィルムとそしてマーベルとの間で再び契約を結んで、製作に必要な時間を稼いだ。その契約にも、もし1996年5月までに、カロルコがキャメロン監督の『スパイダーマン』をつくらない場合には、実写化権はマーベルにもどるという但し書きがつけられていた。

 結局、キャメロンは『スパイダーマン』のあらすじまでは完成させたものの、契約書にあった期限までに、映画化に動き出すことはできなかった。したがって、今までの契約を素直に読めば「スパイダーマン」の実写化権はマーベルにもどるはずであった。(次回に続く)
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