TEXT BY ミドリ・モール(弁護士・ライター)

 くまのプーさんを巡る訴訟(2)

 前回に引き続き、今回もくまのプーさんにまつわるディズニーの訴訟問題についてです。イギリス生まれのくまのぬいぐるみが発端となって始まった裁判とは? 
 ところで、くまのプーさんを生み出したのはアラン・アレグサンダー・ミルンというイギリス人作家。1926年にミルンが息子のクリストファー・ロビンと子供部屋のぬいぐるみたちをモデルにして作ったお話がくまのプーさんだ。くまのプーさんの童話はあっという間に、本国イギリスで大人気となった。ちょうどJ.K.ローリングの「ハリー・ポッター」のような大ヒットだった。
 これにいち早く目をつけたのは、ニューヨークで原作権のライセンス業務を行うエージェント、スティーブン・スレジンジャーという人物。1930年に、スレジンジャーはプーさんを北米で販売する権利を取得した。当時の価格は1,000ドルであった。1953年に死去した後は、スレジンジャーの遺族である妻のシャーリーと娘のパティが、プーさんの権利を継承した。
 プーさんの人気に目をつけた者は他にもいた。それはディズニーであった。1961年に、ディズニーはシャーリー・スレジンジャーとミルンの遺族であるダフネ・ミルンとの間でプーさんのキャラクターを使用するためのライセンス契約を結んだ。当時、プーさんに関する権利は、スレジンジャーとミルンの遺族らが保有していた。国際的販売力をもつディズニーのセールス活動のおかげで、プーさんの人気は不動なものとなっていった。プーさんとその仲間たちは、テレビや映画に登場し、キャラクターグッズは売れに売れ、ディズニーはもとより、スレジンジャーとミルンの遺族らは潤った。
 何年かたつと、スレジンジャーはディズニーからの会計報告に不信をいだくようになった。ディズニーがスレジンジャーに対して支払うべきロイヤルティの金額が正確なのかどうかを疑うようになったのだ。1983年、スレジンジャーとのトラブルを避けるため、ディズニーは、和解金として750,000ドルを、また全世界でのプーさんグッズの売り上げから2.5%をスレジンジャーに支払うことを約束した。さらに、スレジンジャーによると、ディズニーはプーさんのビデオ・カセットやビデオ・ゲームの売り上げからもロイヤルティを支払うことを約束したと主張する。
 1991年、スレジンジャーはディズニーを相手取ってカリフォルニア州、ロサンゼルス上級裁判所にロイヤルティの支払いを求めて訴訟を提起。その裁判が本件だ。スレジンジャーの主張によると、1983年からの未払いロイヤルティ金額は、グッズ販売だけで3,500万ドル、そしてビデオ販売からは3億ドルにのぼるという。

 ディズニー側はこれに反論する。訴訟での争点は、ロイヤルティの金額が適正だったのかどうか、もう一点は、1983年の契約にプーさん関連のビデオやゲーム・ソフトが含まれるのかどうかだ。スレジンジャーはプーさんの映画に関する権利はもっていない。これはディズニーの権利だ。もし、プーさんビデオは映画の利用権の延長線上にあると考えると、ビデオからのロイヤルティは含まれないように解釈されよう。
 しかし、スレジンジャーは、当時契約交渉にあたったディズニー幹部(すでに死亡)から、ビデオからの売り上げについても1983年の契約書に含まれていることを約束されたと主張する。双方の主張は平行線を続け、10年以上にわたる長い訴訟となった。

 しかし予期せぬことが起こった。訴訟が始まってから、ディズニーがプーさんグッズのライセンス書類、会計書類などプーさん訴訟に関する書類を含む40箱以上の書類をシュレッダーにかけて隠滅していたことが明らかとなったのだ。ディズニー側はプーさん訴訟の書類は含まれていないと反論するが、ロサンゼルス上級裁判所判事は、ディズニーに制裁を加えた。
 アメリカでは裁判の最中、証拠書類などを故意に破棄すると制裁が加えられる。これにより、ディズニーは罰金を支払わされ、スレジンジャーの主張は有利になったようだ。判事はいままで封印されていた裁判の一部の書類を一般に開放する決定を行った。

 また、今年6月、裁判所はスレジンジャーの主張を認め、独立した会計士によるロイヤルティ計算を行うべきとの決定を行い、今までの会計報告のやりなおしを命じた。スレジンジャー対ディズニーの訴訟。多額の訴訟費用を使いながら、プーさんを巡る訴訟はこれからも続く。
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