TEXT BY ミドリ・モール(弁護士・ライター)

 株主代表訴訟 - ディズニーの場合2

 デラウエア最高裁が今年5月28日に下した判断を解説しながら、7年前にディズニーを去ったオービッツの巨額な退職金の是非を争った本訴訟の概要に迫る。

 アイズナーが旧友であるオービッツをディズニーの社長に任命するために以下のような経緯があった。(判決、裁判書類からの引用)
1.1994年にディズニー社長フランク・ウェルズが事故死。後継者が必要となった。

2.後継者と目された幹部たち、すなわちジェフリー・カッツェンバーグ、リチャード・フランク、がディズニーを去った。

3.1995年8月13日、アイズナーは一方的にオービッツをディズニーの社長に任命するよう取締役会に通知。当時の取締役3名はすべてオービッツの経営能力に疑いをもち、社長任命に異議を申し立てた。しかしアイズナーはオービッツを社長にするよう譲らず、1995年8月14日、オービッツにディズニーとの雇用契約の重要事項を記載した手紙を送っていた。通常会社の重要なポストの雇用条件については、取締役会とか人事委員会、外部の専門家から雇用契約の妥当性を打診するのが適切であった。アイズナーはこういった手続きを一切無視した。

4.グラーフ・クリスタルはディズニーに雇われ、幹部報酬についてアドバイスを与える雇用専門家であった。彼は1995年8月12日書簡にて、オービッツの報酬規定について、会社に危険な負担を与えるものであるという危惧を表明していた。しかし彼の書簡はディズニーの人事委員会に提示されることはなかった。
5.1995年9月26日、ディズニーの人事委員会が召集され、オービッツの雇用について協議されるが、名目だけであった。オービッツのサラリー、ボーナス、ストック・オプション、退職金についての質疑はなく一時間もかからないうちに終わった。人事委員会では、もっぱらオービッツの斡旋料について談義された。ディズニーの幹部であり、同時にアイズナー個人の弁護士でもあるアーウィン・ラッセルは、オービッツ斡旋料としてディズニーから2万5000ドル(約3000万円以上)をもらった。

6.オービッツは1995年10月1日からディズニーの社長として正式に任命された。

7.オービッツ雇用契約交渉は続いた。人事委員会ではなく、オービッツと友人アイズナーが交渉していた。その最終ドラフトは、同年9月26日の人事委員会に提示された条件とかなり重要な部分が異なっていた。ストック・オプションの金額や退職の条件などが、オービッツにとって一方的に有利な内容に変わっていた。最終ドラフトはディズニーの取締役会と人事委員会で論議されることなく、同年12月12日にアイズナーとオービッツによってサインされた。

8.オービッツの社長任命が大きな間違いであることに気づくのに時間はかからなかった。オービッツを招き入れたアイズナーですらメモで「人選ミスであった」と記載していた。オービッツ自身も1996年9月30日のインタビューで「仕事の1%しか知らない」ことを認めていた。

9.オービッツは職務に尽力することよりも、さっさと辞めることを考えた。アイズナーはオービッツのために退職後の仕事を探してあげていた。驚くことにアイズナーは、ソニーの会長にオービッツをソニーピクチャーズの幹部に任命するよう要請していた。が、これは成功しなかった。
10.オービッツが早期退職する場合、“非のない退職”かどうかを決定する権限はディズニーの取締役会にあった。アイズナーらは1996年12月12日付けでオービッツに“非のない退職”扱いを決めた。取締役会はアイズナーの一方的な決定に従った。そしてオービッツは巨額の退職金、すなわち契約満了までの間のサラリー、ボーナス、そしてストック・オプション、総額にして1億4000万ドルを手にして、ディズニーを去った。取締役会がきちんと事実を調査し、退職条件を交渉していれば、こんなことは起こらなかったはずだ。取締役会の無責任体制が会社に損害を与えたとして、株主らはディズニーと取締役たちを相手に株主代表訴訟を起こした。

 ディズニーの株主代表訴訟では、取締役たちが会社のため、株主のために職務を適正に行っていたかが争われる。上記一連の行為を“ビジネス判断=business judgment”として正当化することができるのか? 修正された訴状では、オービッツ任命、退職にいたるまでの過程で取締役が何らの調査もせず、情報も得ず、論議もせず、一部幹部の個人的な利益と友情関係を優先して会社に支払わなくても良い損害を与えたのは、ビジネス判断でなく、職務懈怠であると指摘された。“どうなろうと我関せず”のマネージメント体制の是非が問われていく。
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