TEXT BY ミドリ・モール(弁護士・ライター)

 ソニーに買収されるMGM(2)

 ソニーへ買収されることが決まった「吼えるライオン」でおなじみの老舗スタジオMGM。その裏には、過去3回に渡ってMGMを買収したことがあるカーク・カーコリアン氏の存在が大きいと言われている。度重なる買収はどういう経緯で行われたのか? MGMの歴史を振り返りながら解説する。

 MGMの大株主で、ソニーにMGMを売却することを決めたカーコリアン氏。もともと何故、ラスベガスのギャンブラーがハリウッドの映画ビジネスに興味を持ったのであろうか。

 スタジオの資産価値というのは目に見えるものではないし、資産評価は難しいといわれる。映画スタジオを買収しただけでは、資産価値は上がらない。映画は時間のかかる長い投資だ。あたらしい映画を作り続けなければならない。ライブラリーを二次利用していくためのマーケティングのプロも必要だ。どう考えても短期的な投資の対象にはならない。リスクが高すぎるビジネスだ。
 カーコリアン氏がMGMに投資する前に、カナダの酒会社、シーグラムの社長のお父さんであるエドガー・ブロンフマン氏がMGMを買収したことがあったが、映画スタジオ経営なんて出来る訳ないと、家族の反対に遭ったブロンフマン氏はMGMをすぐに手放した。紆余曲折を経てMGMは1969年、カーコリアン氏の手に渡る。カーコリアン氏は、海外からの投資家と銀行からの融資をバックにMGMの株式40%を買収し、大株主となった。当時の値段で1億ドル以上を支払ったそうだ。
 多額の借金をかかえたカーコリアン氏は、まずリストラを決行。MGMの社員を50%に削減し、スタジオの敷地を売りに出し、そして1973年にはMGMの配給部門を廃止した。MGMから配給部門がなくなり、ユナイテッド・アーティスト(UA)がMGMの映画を北米で、海外ではCIC(後にUIP)がMGMの映画を配給することになった。1970年から1980年までのMGMの映画制作予算は削られ、年間4本から7本といった貧窮であった。他のスタジオが『スター・ウォーズ』シリーズ、『E.T.』、『インディー・ジョーンズ』シリーズといったヒット作を作りだし、ケーブル・テレビやホーム・ビデオといったあらたなメディアからの収益を生み出しているのを傍観するだけのMGM。ヒット作がなければ、収益も入ってこない。キャッシュ・フローがとまると、新しい映画を作ることができない。会社の経営が不安定だと、良いプロジェクトは持ち込まれないという最悪の状態に陥っていた。
 経営難のMGMに手を差し伸べたのはテッド・ターナー氏だった。『風と共に去りぬ』に人一倍愛着をもつターナー氏。MGMのライブラリーには『市民ケーン』('41)や『キング・コング』('33)などを生み出したRKOと1948年以前のワーナー・ブラザースの映画が含まれていた。ライブラリーの資産価値はかなりのものといえる。ケーブル・テレビを傘下にもつターナー氏の資産は合計3億5,400万ドル。MGMの売却希望価格は15億ドル。1986年、ターナーは自らの財産を担保として、MGMを買収した。買収価格は15億ドルとMGMの負債引き受け。しかしターナー氏は投資家からの反対を受け、買ったばかりのMGMをカーコリアン氏に売却せざるを得なくなった。ターナー氏がMGMを所有していた期間はたったの74日間。カーコリアン氏はMGMのロゴとUAの権利をそれぞれ3億ドルで買い取り、ターナー氏は1986年6月以前のMGMのライブラリーとスタジオの敷地をキープした。転んでもただではおきないターナー氏。潤沢なMGMのライブラリーを使って、自ら経営するケーブル会社であるTNTに独占的に放映することによって、年間収入8億6,500万ドルの収益を上げ、TNTをアメリカ大手のケーブル会社に成長させた。
 したがってソニーが買収したMGMには1986年6月以前に制作配給された映画の権利は含まれない。DVDやオンデマンド、インターネットといった新しいメディアの登場で資産価値を増した映画ライブラリー。カーコリアン氏はMGMを最も高値で売却した商売の達人といえそうだ。


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