TEXT BY 深澤耕輔(プロデューサー)

 インディーズ・ムービー撮影日記 in L.A. 前編

 2002年夏、関西のプロバイダーがスポンサーとなりインターネット用に3本の短編ホラー映画プロジェクト『闇の旋律』を製作した時の事をこのコラムでお伝えしたのを覚えているだろうか?
 あの作品を始めたとき僕はまだLAに来て半年たらずだった。英語はおろか、映画製作のことなど何も分からないままの僕が無謀にもプロデューサーという大役を任され、ただ数々の問題を無我夢中で解決しながら何とか作品を完成することができた。

 映画製作としてはかなりの低予算だが僕の1年分の生活費ほどのお金を一気に使い、作品を作り上げた去年の夏。僕はかなりの自信を持つことができた。「もう映画製作なんて怖くない!」とすら思ったものである。しかし・・・、今回の映画製作を振り返ると、あれはまだ単なる序章であったと感じた。
撮影現場はまさに戦場!緊迫ムード
 あれは、2002年の10月だっただろうか。伊藤監督から連絡が入った。「次回作やるぞ」詳しく内容を聞いてみると『闇の旋律』の評判がかなり良かったので、同じスポンサーから再び製作の依頼が来たというのだ。しかも、今度の予算は僕のLAでの生活費の3年分。前回の3倍である。そして、今回はDVではなくスーパー16というフィルムで撮影を行うという。

 今回もプロバイダーがスポンサーなので、インターネット用の短編だと思ったが、伊藤監督曰く「いや、長編がいい」という。そして、その許可を監督はすでにスポンサーを口説いて了承させていた。制作費がいくら3倍になったとは言え、長編(前回は短編を3本あわせても40分)、その上フィルムをまわすとは。

 ここで簡単にDVとフィルムと値段的な違いを説明しておこう。皆さんもご存知のようにDVテープはその辺のコンビ二や電気屋さんで60分のものが大体600円ほどで売られている。しかしフィルムはスチル写真(あれは35mmだが)と同じようなもので10分で4、5万円(フィルム代、現像代など合わせて)かかってしまう。
 フィルムで70分くらいの長編をこの予算で製作するのは、まず無理。というのが僕の判断だった。この企画、スタッフ全員がボランティアだとしても2千万近くかかる。しかし、監督は「もらってくればいいじゃん」と軽く言う。そして、彼は某有名フィルム会社の名刺を僕に渡した。今回もまた、いろいろな企業から寄付を募り、映画を製作していこうというのである。

 この方法、僕らのようなインディーズ映画ではかなり当たり前のこと。特にここハリウッドでは新しい才能を育てようという気持ちが根付いているので、やり方次第ではかなりの備品を寄付してもらえるのだ。その「やり方」こそがプロデューサーの手腕の問われるところ。覚悟を決めて、ほかのプロデューサーと共に動き出した。
女優に挟まれる伊藤監督。右が今回の主役
 交渉に次ぐ交渉。この貧乏プロダクションでは撮影に必要なものはすべてなるべくお金をかけずに手に入れなければならない。フィルム、食事、機材、全てを無償、もしくは激安で手に入れる努力をした。特にメインとなるロケ地に関しては一度断られた。いや、監督に報告したときはすでに2、3度断られていたかもしれない。しかし、監督が「知り合いのアメリカ人が日本人はすぐ諦めるよね」と言ってたよと。そこでEメールで長い手紙を書いた上で、1日1回はそのロケ地の担当者に連絡することに。そんな、交渉を続けること10日。なんと許可が下りたのだ。

 アメリカという国は、最初の交渉相手が下のほうの人間の場合「自分の責任にしたくない」「面倒くさい」という理由でオーナーにまでこちら側の意見が届かないこともあるのだ。だから、誠意を伝えるためには何度でも交渉を続ける必要がある。これは、撮影前の大きな収穫であった。

 その後、この教訓をもとに降りかかるたくさんの問題と戦いながら次々と準備を進めた。その間に、企画の面白さと監督の将来性に賛同したプロのベテラン撮影監督や照明監督がボランティアでの参加を決めてくれた。そして、撮影前日全体ミーティングを開いたとき、そこに集まったスタッフは総勢60人以上。

 前回の2倍以上のスタッフの数である。プロデューサーというのは役柄上、準備を完璧にすれば「撮影に入ればあまりすることがない」というのが理想である。だから、今回はかなり準備したので、今度こそは「撮影に入ったら少し楽だろ!」と思っていた。が、撮影前日にも関わらず、問題発生を告げて鳴り止まない僕の携帯と今までにない人数のスタッフを見ていると、本当の戦いはこれからだと思わずにはいられなかった・・・そして、その勘は当たることになる。(次回に続く)
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