TEXT BY 堂本かおる(フリーライター)

 消えゆく歴史的映画館

 大型シネコンの隆盛にともない、ニューヨークでも古い映画館の閉鎖が相次いでいる。そのほとんどは1~2スクリーンの小さな映画館だが、地元の人に永らく愛されてきたものばかり。今回はマンハッタンの映画館の歴史をリポート!
 昨年12月にまた1軒、ニューヨークの古い映画館が閉鎖された。ブロードウェイ沿いの107丁目にあったオリンピア・シアターは、1913年に建てられた歴史ある映画館。地域の住人と、すぐ近くにあるコロンビア大学の学生にとって、なくてはならないネイバーフッド・シアター(地元館)だった。

 このオリンピア・シアターが建っているのは、セントラルパーク西側のアッパーウエスト・サイド(59丁目~110丁目)と呼ばれる地区。1930年代には、ここになんと18軒もの映画館が軒を連ねていたという。とはいえ、これらの古い映画館は、そもそもは1800年代終わりから1900年代初頭にかけて劇場、音楽ホール、オペラ・ハウスなどとして建てられたもの。ところが30年代に映画ブームが到来し、多くの劇場は芝居やショーの上演をやめて映画に切り替えた。また、30年代以降に最初から映画館としても建てられたものもあり、それらは当時の流行を取り入れたアール・デコ様式の外観を持っている。
昨年末に閉鎖されたオリンピア・シアター。“Theater Closed”のサインもすでに剥がれ落ちつつある
 ところが60年代以降はテレビ、その次はビデオの登場によって映画館の観客動員数は減り続け、70~80年代にはたくさんの映画館が閉鎖に追い込まれた。しかし90年代になると、映画業界の起死回生策としてマルチスクリーンのシネコンが華々しく登場。映画は再び活気を取り戻した。1~2スクリーンしか持たない小さな映画館でもアート館は順調に経営を続けているものの、ロードショー館はシネコンに客を奪われ、閉鎖せざるを得ない状況となっている。
 とはいえ、アメリカでは映画はもっとも身近な娯楽のひとつ。特にアメリカでほとんど唯一のノン車社会であるマンハッタンでは、休みの日の午後や、平日でもいったん家に帰って夕食を済ませたあとに、サイフだけをポケットに入れてフラリと近所の映画館に足を運ぶ人は多い。オリンピア・シアターの近所の住む人たちは、そのささやかな、けれど大切な楽しみを無くしてしまったのだ。
いったん閉鎖したあと一時的に再開しているメトロだが、やはり閉鎖となる予定
 オリンピア・シアターが閉鎖されてしまった現在、アッパーウエストには6軒の映画館があるが、99丁目のメトロ(1933~)も閉鎖が近いと言われている。
 ちなみに、60丁目にあったパラマウント(1970~95)、66丁目のシネマ・スタジオ(1960~90)、67丁目のレジェンシー(1932~90)は取り壊され、それぞれトランプ・インターナショナル・ホテル、書店チェーンのバーンズ&ノーブル、女性下着チェーンのビクトリアズ・シークレットになっている。また74丁目のビーコン(1929~74)は、ビーコン・シアターというライブハウスとなっている。94丁目のタリア(1918~)は、昨年すっかりきれいに改装されたシンフォニー・ホールの内部に、やはり改装されて生き残っている。
1913年に建てられたエディソン劇場。スペイン語映画館だったが90年に閉鎖
 ざっと調べてみたところ、映画館が誕生した30年代から現在に至るまでにマンハッタンだけで86軒の映画館が閉鎖され、そのうち68軒は取り壊されてる。多くの劇場がレトロな外観を持っていたはずでなんとも残念だが、3階建て程度の劇場は他の用途に使い回しが効かず、周辺の古い建物とともに取り壊されて高層建築に姿を変えているようだ。
 タイムズ・スクエア付近でも、ザ・アスター(1906~2000)はマリオット・マーキー・ホテル、クライテリオン・シアター(1915-2000)は世界最大のおもちゃ店トイザラス、ハリス・シアター(1914~1989)はマダム・タッソー蝋人形館となっている。

 それでもマンハッタンには、古くて小さなロードショー館がまだ数軒残っている。それらが果たしていつまで生き残るのかは、残念ながら定かではない。
現在はシンフォニー・ホールの中にあるタリア映画館


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