★1934年 アカデミー賞(作品賞/主演男優賞/主演女優賞/監督賞/脚色賞)受賞

 ■恋と冒険と夢を大陸横断のバスに乗せて…。スクリューボール・コメディの傑作!『或る夜の出来事』
 “スクリューボール・コメディ”という言葉をご存知ですか?“スクリューボール”とは、野球用語で“変化球の一種、故意に投げられる突飛な球”という意味があります。これが転じて映画の世界では、個性の強い男女が言葉の投げ合いや諍い、ドタバタの駆け引きを繰り返しながらお互いに好きになっていく…といったコメディのことを“スクリューボール・コメディ”というのです。代表的な作品に、ハワード・ホークス監督の『赤ちゃん教育』('38)や『ヒズ・ガール・フライデー』('40)、プレストン・スタージェス監督の『レディ・イヴ』('41)、エルンスト・ルビッチ監督の『青髭八人目の妻』('38)などがあります。

 このコーナーで紹介する『或る夜の出来事』('34)は、“スクリューボール・コメディ”を決定付けた作品です。犯罪映画がはやっていた当時は、このようなコメディ作品がヒットするという望みはあまり大きくありませんでした。そんな中、恐慌で失業者が増加し、映画人口は年々減っていたにも関わらず、小粋でロマンティックな展開が繰り広げられる本作は多くの観衆から喝采を浴びて大ヒット。また、この映画はロード・ムービーの元祖とも言われています。この年のアカデミー賞で『或る夜の出来事』は主要5部門でオスカーを獲得しました。この快挙を成し遂げたのは、本作と、『カッコーの巣の上で』('75)、『羊たちの沈黙』('91)の3作品のみ。『或る夜の出来事』はあらゆる面で映画の歴史の原点を生み出した傑作なのです。

 『ここで、本作に関する面白い話を紹介しましょう。本作にクラーク・ゲーブルが出演することになったいきさつです。当時、ハリウッドの映画会社はスター、監督、脚本家などと専属の契約を結んでいました。MGMと専属契約を結び、“ハリウッドのキング”と呼ばれていたゲーブルの影響力は絶大で、演出家や製作首脳陣にまで意見することが出来たといわれています。彼の大スターぶりに少々手を焼いていたMGMは、ワンランク下のコロンビア映画に頼まれてゲーブルを貸し出すことにしました。彼はこれを渋々承知し、出演に至ったというわけです。しかし、映画会社がスターの影響力を小さくしようとしたのに、かえって作品は大ヒット、ゲーブルにはオスカーまでももたらす結果となりました。また、エリー役のコルベールは実は舞台女優で、映画嫌いで有名でした。舞台と映画の両方で契約していたパラマウントと争った末、ペナルティで仕方なく他社映画に出演を決めたとのこと。彼女も本作でオスカーを獲得しています。

映画のなかで、ゲーブルが着ているワイシャツをさっと脱ぐシーンがあります。その時、彼は肌着を着けず、素肌にじかにシャツを着ていました。そんなゲーブルの颯爽とした姿に影響されて、男性たちの間でゲーブル・スタイルが大流行、男性用肌着の売上が激減してしまったのです。特にアメリカでは肌着メーカーの売上が前年比50%ダウンという事態にまで陥りました。いかに当時のハリウッドスターの影響力が大きかったかが伺えます。


<ストーリー>
 大富豪の一人娘エリー(クローデット・コルベール)は、父アレキサンダー(ウォルター・コノリー)の反対を押し切り、パイロットのキング(ジェイミソン・トーマス)と婚約。怒った父親はエリーを客船に閉じ込めてしまう。恋人に会いたい一心のエリーは海に飛び込んで船から脱出し、マイアミからニューヨークへ向かう夜行バスに乗り込む。このバスに、編集長とケンカをしてクビになったばかりの新聞記者ピーター(クラーク・ゲーブル)が乗っていた。ふたりは席の取り合いのいざこざから知り合いになる。エリーを富豪の娘と知ったピーターは、スクープを狙って彼女の旅に同行することに。途中、バスが動かなくなってしまい、彼らはモーテルの一室に泊まらなければならなくなる。ひとつの部屋を毛布で仕切って“ジェリコの壁”を作るエリー。わがままなエリーと強引で粗野なピーターは互いに意地をはりあいつつも旅を続け、やっとの思いでニューヨークにたどり着く。しかし、新聞には“婚約を許す”という父親の記事が載っていた。困惑するふたり。彼らは今では互いに惹かれ合う仲になっていたのだ。果たしてピーターとエリーの恋の行く末は…?


 ■アメリカへの理想と希望をユーモアを交えて描いたフランク・キャプラ監督の才能

 移民の子として苦労しながら働き、24歳の時に映画界入りを果たしたキャプラ監督。大恐慌の真っ只中で、自らのアメリカン・ドリームを体現するかのようにヒューマニズムに溢れたコミカルな作品を次々と発表していきます。彼の映画は“キャプラスク”と呼ばれ、アメリカへの理想と信頼、貧しいけれど善良で心暖まる人々への尊敬と愛情の代名詞にもなりました。

 1933年に『一日だけの淑女』でキャプラが監督賞にノミネートされたとき、プレゼンターのウィル・ロジャーズ(『周遊する蒸気船』('35)などに出演 )は、受賞者名を「フランク、どうぞ!」とファーストネームで呼びました。キャプラ監督が舞台に行きかけた時、ロジャーズは続けて「フランク、フランク・ロイド!」と言いました。『カヴァルケード』('33)で同じく監督賞にノミネートされていたロイドを呼んだのです。冗談半分でこんな発表をしたのですが、キャプラ監督はとても傷ついたそうです。しかし翌年のノミネート作品『或る夜の出来事』はキャプラに悲願の監督賞をもたらしました。しかも監督賞のみならず主要5部門でアカデミー賞に輝いたのです。実際、この作品を越えるロマンティック・コメディは未だ現れていないと言われています。

 キャプラ監督は、自分が貧しいイタリア移民の子でなかったら、こんなにもアメリカへの夢や理想を謳うこともなかったと思う、と言います。また、彼のことを“楽天主義者”と批判する人々に対して、貧しい人間にとってアメリカン・ドリームがどんなに大きいものなのか、彼らにはわからないのだろう、とも語っています。後に軍隊に志願して戦争のひどさを目の当たりにしたキャプラ監督は、深いショックを受けます。理想を追い求めすぎたのかもしれないと悩む彼が、もう一度人を信じることへの希望を描いた作品が『素晴らしき哉、人生!』でした。この作品は今でもアメリカのクリスマス・シーズンの定番として親しまれています。


○フランク・キャプラ プロフィール
 1897年5月18日、イタリア、シチリア島パレルモで生まれる。本名はフランク・R・キャプラ。6歳の時、一家でカリフォルニアに移住する。小学生の頃から新聞を売ったりしつつ家計を支えた。成績は抜群だったが授業料が払えず、2年間鋼管会社で働いて学費をため、カリフォルニア工業高校へ進学。化学者になろうとして挫折し、シナリオ学校に入って映画の魅力に取りつかれる。1921年、クリスティ映画社に裏方として入社。その後映画会社を転々とし、1925年、喜劇専門のマック・セネット撮影所に就職。『呑気な商売』('28)が首脳陣に受け、コロンビア映画と契約を結ぶ。1931年、『奇蹟の処女』の原作を担当したロバート・リスキンと意気投合。2人で組んで『プラチナ・ブロンド』('31)、『狂乱のアメリカ』('32)といった秀作を作る。『一日だけの淑女』('33)で広く認められた2人は、1934年、『或る夜の出来事』でアカデミー作品賞、主演男優および女優賞、監督賞、脚本賞を受賞という快挙を成し遂げた。その後も『オペラハット』('36)、『我が家の楽園』('38)で、アカデミー監督賞を獲得。戦後は、『素晴らしき哉、人生!』('46)などを監督した。91年9月3日、カリフォルニア州ラキンタの自宅で、老衰のため死去。



DVD:価格:¥3,800 <税抜>
発売元:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

スタッフ:
監督:フランク・キャプラ Frank Capra
製作:フランク・キャプラ Frank Capra
   ハリー・コーン Harry Cohn
原作:サミュエル・ホプキンス・アダムス Samuel Hopkins Adams
脚色:ロバート・リスキン Robert Riskin
撮影:ジョセフ・ウォーカー Joseph Walker
音楽:ルイス・シルヴァース Louis Silvers

キャスト:
ピーター・ワーン:クラーク・ゲーブル Clark Gable
エリー・アンドリュース:クローデット・コルベール Claudette Colbert
アレキサンダー・アンドリュース:ウォルター・コノリー Walter Connolly
キング・ウェスレー:ジェイミソン・トーマス Jameson Thomas
ウェイド・グスタフソン役:ハーヴ・プレスネル Harve Presnell
ジーン・ランダーガード役:クリステン・ルドルード Kristen Rudrud
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