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映画『ディファイアンス』公開記念 杉原千暁さん×山本モナさんトークイベント付試写会レポート

2/4(水)19:00より有楽町朝日ホールにて、
本作の公開記念トークイベント付試写会が行われました!
本作は、第二次世界大戦中、1200人のユダヤ人の命を救った
ビエルスキ兄弟の実話がベースになっていることもあり、
そこで「日本のシンドラー」と呼ばれた、杉原千畝さん(※)のご子息である、
杉原千暁(すぎはらちあき)さんにご登壇いただき、
千畝さんの当時の勇気ある行動や映画『ディファイアンス』について語っていただきました。
そしてナビゲーターとして、山本モナさんをお迎えしました。
※杉原千畝(すぎはらちうね)さん
第二次世界大戦中、当時リトアニアで外交官をしていた杉原千畝さんは、
ナチスドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人6000人にビザを発給し、命を救った。「日本のシンドラー」とも呼ばれる。
ここで、そのトークイベント模様を一部ご紹介します!
山本モナさん:
「映画『ディファイアンス』はいかがでしたでしょうか?」
杉原千暁さん:
「『ディファイアンス』の話は知りませんでした。
同胞が同胞を助けるというのが、うちの父親とは違うところですよね。
3年間も森の中で生活したということですから、物もなくて、大変だったと思います。」
山本モナさん:
「杉原さんのお父様 千畝さんは、6000人のユダヤ人の方々にビザを発給し、命を救ったことで有名ですよね。
杉原さんは、お父様がビザを発給していたというお話をずいぶん大きくなるまで知らなかったそうですが。」
杉原千暁さん:
「日本に帰ってきてからも両親とも当時の話はしませんでした。
マスコミの人がどこからかその話を知って、たずねてくるようになってそれで知りました。
私が30歳くらいのことです。父は外交官だったわけでビザを発給するのが仕事でしたし、
そういう状況を見捨てるわけにはいかなかったことはわかりますから。
飲まず食わずで歩いてきてやっとたどり着いた人を無下に断れないですよね。
それで、本省に電報をうったようですが、許可は下りなかったんですね。
でも、父が発給しないと彼らは殺されてしまうというのはわかっていましたから、だから発給したんですね。」
ビエルスキ兄弟と同じく多くのユダヤ人を助け、日本のシンドラーと呼ばれる杉原千畝さんのご子息、千暁さんのお話に、会場は真剣そのものでした。「ビエルスキ兄弟、そして杉原千畝さん共に、極限の精神状態の中、勇気ある行動をとったすばらしい英雄ですね」と、ナビゲーターの山本モナさんも驚きを隠せない様子でした。
【ディファイアンス 公式サイト】
2/14(土) TOHOシネマズ シャンテ他、全国ロードショー
(C)2008 by DEFIANCE PRODUCTIONS, LLC. All Rights Reserved.
2009年02月06日 11:56
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