« ハリウッドにも不況の波?アカデミーの新戦略 | メイン | ハロウィーン・ナイト!Knott’s ‘Scary’ Farm »

追悼:元祖辛口ファッション批評家/Mr. ブラックウェル

50年近くに渡り、アメリカン・セレブリティ達のファッションセンスを斬りまくってきたMr. ブラックウェル。今月19日、ロサンゼルス市内の病院にて腸の感染症による合併症のため、86歳で逝去されました。長い生涯をファッション業界に捧げた氏を偲び、その生い立ちから波乱万丈な人生、名言までに迫ってみたいと思います。

辛口ファッションコメンテーターといえば、日本でまず思い浮かぶのがピーコさん。ところ変わってここアメリカでは、Mr. ブラックウェルを語らずして「ファッション批評家」は成り立たないほど、広く知られた存在でした。1960年より彼がスタートした「年間ワーストドレッサー・リスト」は、またたく間に定着。

今やアワードシーズンには必ずスター達の「ドレス批評」が各誌に踊るのも、彼の功績あってこそとみられています。

Mr. ブラックウェルことリチャード・シルヴァン・セルザー氏は、1922年8月29日にNYはブルックリンにて産声をあげました。実の父親を知らず、アパートを転々とする貧しい幼少期を過ごし、彼がティーンエイジャーになった頃には養父が蒸発。ブロードウェイに端役で出演しながら家計を支え、1937年に母親と兄の3人でロサンゼルスへ移り住んでいます。翌年、ブロードウェイ・ミュージカルのスピンオフ”Little Tough Guy (原題)”や、リタ・ヘイワース出演の”Juvenile Court”など、いくつかの映画に携わるも、俳優として日の目を見ることはありませんでした。ちなみに、彼の芸名「リチャード・ブラックウェル」が誕生したのはこの頃。キャストが決まった”Vendetta (1950)”のプロデューサー、かのハワード・ヒューズに命名されたと後の自伝で回顧しています。

“Vendetta” の撮影中(後に出演シーンはカット)だった1949年、彼は生涯のパートナーとなるロバート・スペンサー氏に出会います。当時、それぞれ役者とヘアメイクだったふたりは、主に女性トーチソング歌手を囲った芸能事務所を設立。ブラックウェル氏は彼女達の衣装を手掛けることになります。デザイナーとしての活動を始めるとエージェントは閉鎖し、両者共同でアパレル会社「Mr. Blackwell」を立ち上げました。実際に彼がデザインした洋服は、ハリウッド黄金期を彷彿とさせる華やかなものばかりで、ここでも評判はイマイチ。しかし、1960年開始の「年間ワーストドレッサー・リスト」によって、彼の批評家としての才能が脚光を浴びることになります。
60年代はミニスカートやシンプルなスタイルが台頭し、彼のテイストとはかけ離れたデザインが主流になりつつありましたが、ふたりの会社が激動の時代を切り抜けられたのも、この「リスト」のお陰でありました。

Mr. ブラックウェルの「年間ワーストドレッサー・リスト」は、40-50年代に出回り始めた「ベストドレッサー」シリーズの真逆を狙ったもの。ベストがあればワーストもあってもいいんじゃない?といったノリで、60年代のファッション・アイコンだったマリリン・モンローやソフィア・ローレン、エリザベス・テイラーといった大御所を、次々とこき下ろしていきました。
彼のファッションにおける絶妙かつ独特で軽快な比喩は、一気に人々の注目を集める結果に。それまではスクリーン上の憧れ的な存在だったセレブリティ達が、何となく身近に感じられるようになったことも、彼の功績だったといえるでしょう。

彼の最後のリストとなった2007年版のトップを飾ったのは、ヴィクトリア・ベッカム。その後ろを、エイミー・ワインハウスとメアリー=ケイト・オルセンが追っています。また、1960年の開始から数えて最も多くリストに登場しているのは、マドンナで何と11回。バーブラ・ストライサンドが9回で2位に着け、同率の6回ではブリトニー・スピアーズとエリザベス・テイラーが並びました。ここで「Mr. ブラックウェル語録」のほんの一部をご紹介。言い得て妙な一言からちょっと意味不明なものまで、彼の辛らつな言い回しが光ります。

メアリー=ケイト・オルセン:「嵐に巻き込まれた使い古しの爪楊枝」
マーサ・スチュワート:「農業年鑑の綴じ込み付録」
マライア・キャリー:「ラップに包まれたチーズケーキ」
ブリトニー・スピアーズ&パリス・ヒルトン:「むきだしのサヤに入った豆2粒」
マドンナ:「昨日のエヴィータは今日のヴェルヴィータ(アメリカのチーズブランド)」
キャメロン・ディアス:「色盲のピエロに着せられたみたい」

と、ここまで言うからには、さぞご本人はオシャレさん…かと思いきや、あくまで彼の趣味はエキセントリック。若い時分にはピッタリパンツに胸をはだけたシルクシャツ、中年期はゴールドアクセを目一杯付けたタートルネックがトレードマークでした。晩年も、シックなスーツに真っ赤な靴下を合わせるなど、ファンキーこの上ないスタイルがお好みだった模様。一方では、鼻や耳、顔のリフトアップなどの整形も堂々と公言しており、とことん自由な生き様を見せ付けてくれるお人柄でした。

貧困や虐待に苦しみながらも家族を支え、大好きなファッション業界に携わり続けたMr. ブラックウェル。最期は約60年間連れ添ったスペンサー氏に看取られ、追悼式も予定されています。ビッグスターに対しても物怖じせずに辛口コメントを繰り広げ、ご自分なら何位!?と突っ込みたくなるようなファッションに身を包んだ、唯一無二のファッションコメンテーター。もうこの世にはいなくとも、彼の残した伝説は今後も語り継がれていくことでしょう。ご冥福を心よりお祈りいたします。

こちらのサイトで、若かりし頃のMr. ブラックウェル、近年の氏とパートナーのスペンサー氏が見られます。

【Vintage a'Go Go】

TEXT BY アベマリコ

2008年10月23日 21:34

この記事へのトラックバックURL:
http://blog.eigafan.com/cgi-bin/mt-tb.cgi/1232

 
東宝東和株式会社